人は何のために生まれて来たのか?

この命題は、常に我々人間に問いかけてきます。そして、古今東西、年齢も人種も問わず、常に人類を悩ませ続けてきました。仕事が行き詰った時、恋人と別れた時、地震で家族や財産を失った時、不治の病に侵され病院のベッドに横たわっている時、、幾らでも有ります。しかし、『人は(私は)何故生まれて来たのだろうか?何のために生きているのだろうか?』という問いに関しての答えは、実は、はっきりしています。『生まれてきた理由は、生きている事の意味とか意義は何もない』という事でしょうね。人間は、ただ単に偶然に生まれて来たのです。『神様が人間を作った』(アダムとイブの事です)などというキリスト教の教えなんか、真っ赤な嘘に過ぎません。今頃でしたら、そこら辺の田んぼでカエルが鳴いていますが、そのカエルと同じように、ただ、生まれて来ただけなのです。何かの動物が生きて活動する事によって、森林が、あるいは田畑が肥沃になる、などと言うのは、単なる偶然とこじつけにすぎません。そして、人間のもう一つの最大の関心である、『あの世(死後の世界)はあるのだろうか?』ですが、これも実は、存在しません。私も、『あの世が有ってほしいな』という淡い望みは持っていますが、これは死に対する恐怖心を誤魔化す為の自己暗示なのです。宗教の存在意義は、死に対する恐怖をどうするか、であり、それに対する不安を和らげるため、であります。あの世があると思えば、死んでも安心でしょう。もし、自分が死んだら、また、病気で亡くなった妻とあの世で会える、自分がこの戦いで死んでも、神として永遠の命を授けられる、などと嘘を言って、宗教の関係者達は人々を欺いているに過ぎません。お釈迦様でも、『あの世がある』とは、じつは一言も言っていないのです。『現世はあの世へ行くまでの暇つぶし』なんてカッコいい言葉を言っている人がいますが、自己陶酔しているか、思い違いをしているだけなのです。ましてや、『私は、(貴方は)500年前の誰それの生まれ変わりだ』なんて事を言っている人がいますが、こんな人は、クルクルパーの気違いなので、まともに聞いてはいけませんよ。では、どうすれば良いのか?これも実は簡単です。そう、真実は、常にシンプルです。『今、この場所で、一生懸命生きる』それだけです。過去は過ぎた事で取り返しはつきません。未来はこれから起きる事なので、心配しても仕方ありません。だから、『今、この場所で生きる』のです。
画像
50億年と言われる地球の歴史から見れば、どうせ人の命は『如露亦如電』。露の如くはかなく、稲妻の光の如く一瞬で消えて行くのですから、今、やりたい事をやって、出来る事をやって、そして死んで行くのです。今、貴方の命があと一月しかない、と知ったら、何を後悔するでしょうか?一ヶ月後に『しまった、あれをやっておけば良かったのに!』と悔やんでも、もう取り返しはつきません。後生大事に抱えているお金など、今わの際になった時には、必要のない物の最たるものでしょう。『財産を子供たちに出来るだけ沢山残してやろう』などと馬鹿な事を考えてはなりません。定年になった人が、『年金、貯金で遊んで食べていては世間体が悪いから、何か仕事をしよう』なんて自分勝手な事をしていては、若い人達の仕事を阻害するする事になります。働くべき人は働く時に働く、遊んでも良い人は遊ぶ。今まで働いてリタイアした人は、趣味や道楽などで遊び放題に遊ぶなり、夢の実現に向かってやりたい事をやる。そして、十分に楽しんで体が思うように動かなくなったら、後は適当にお金を使って、死ぬ間際には、葬式代を残しておくくらいで丁度良いのですよ。ただ、家族との調和だけは取っておいた方が良いでしょうね。特に、嫁さん(旦那さん)と子供達は大切にしましょう。何だか、自分でも何を言っているのか、まとまりが無くなって来たので、ここらで止めておきます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック