定年後の生き甲斐は女性でしょうか?(男性の場合)

6月28日のブログの続きです。高橋さんは、60歳の定年になったとは言え、生活環境とか経済状況から見ると、わりと恵まれた生活をしていて、とても幸せそうな感じがします。例えば、彼は以前勤めていたトヨタ東京カローラ時代の同僚の加藤さん(現在56才)と、たまに付き合いがあります。彼は今も現役のセールスマンですが、厳しい販売ノルマに追いかけられながらも、販売成績はこの4~5年間ずっとじり貧状態で、意気消沈気味です。二人は時々、一緒に山歩きをしたり、
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飲みに行ったりしていますが、そんな時はいつも『あんた(高橋さん)は良いよなあ。遊んで暮らしていて、羨ましいよ。俺はここ数年、全然売れなくなっちゃって、会社に行くのがイヤでイヤでたまらんわ。もう会社を辞めたいんだけれど、それじゃ生活できんから、仕方なく我慢して会社にしがみ付いているんだ。』と愚痴だらけです。そう、加藤さんから見ると、50才代後半になっても、毎日鞄をさげて、暑いなか営業活動をしている自分の立場と高橋さんを比べてみれば、もう天地の差なのです。しかし、高橋さんはそうは思っていません。逆に、背広を着て毎日働いている加藤さんが、羨ましくて羨ましくて、たまらないのです。『俺も社会活動に参加したいんだ。ストレスやプレッシャーがあっても良いから、会社の一員として、仕事をして、お客さんと接したいんだ。』とまあ、簡単に言えば、こういう事なのです。福沢諭吉が、『学問のすすめ』の中で、『ちゃんと仕事をして、家族を養って、子供を社会人にさせて、家を建てて、などが出来れば人間として立派なものだ、なんて風潮が世間にあるけれど、そんなのはチャンチャラ可笑しい。そんな事は、アリンコでもやっている。ちょっと大袈裟な言い方で言うと、世の中の為に成る事をして、日本という国の為に働いてこそ、一人前だ。』などと書いています。
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高橋さんは『生きているだけではしょうがない。健康で明るく楽しく生きているだけでは、意味が無いんだ。日本の為に、とまでは言わないけれど、何か社会の役に立ちたいんだ。人生と一般社会の表舞台から引きずりおろされた様な、今の惨めな生活はもう、本当に沢山だ。仕事を辞めてからは、誰もまともには相手にしてくれない。あんたなんか居ても居なくても、かまやしないんだよ、と世間の人達から無視されながら、社会の片隅で情けなく生きている。今の俺のこんな下らん生活でも、せめて彼女でもいれば楽しいんだろうけれど、金持ちでも、有名人でもない、ただの60男の相手をしてくれる女が、一体何処にいるんだ。』と毎日、心の中で愚痴っているのです。捻くれた僻み根性ですなあ。
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(このナイスバディはなんでしょう?高橋さんが若い時好きだった、河合奈保子ですよ。こんな可愛い女の子が、こんなにきわどいビキニを着けて良いんでしょうか?)今の日本では、一部の限られた有能な人達や特別な立場の人達は別として、60歳を過ぎたほとんどの人達は、そう、世の中のゴミに成り下がってしまっているのです。『そんなら、パートでも何でもいいから、仕事をすればいいじゃないか。介護の手伝いの様な仕事なら幾らでもある。それか、道路の旗振りでも、何でもやればいいじゃないか。偉そうな事、言ってんじゃないよ。』でしょうか?高橋さんは、『そんな馬鹿らしい事をするくらいなら、テレビを見ながら酒でも飲んでいる方が、なんぼかましだ。』と思っているのです。ですから、彼は今、はたから見れば悠々自適な生活をしている様に見えても、とても不幸な状態なのです。(なんのこっちゃ)

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