ファニーレーシングの魅力

ファニーレーシングの親分(つまり代表者ですが)に、岡山駅まで送ってもらっている途中、前方にオートバイが走っていました。この近くの鷲羽山という山の上に、ちょっとした遊園地などがあって観光客で賑わっているんですが、見晴らしが良く、また適度に飛ばせるワインディング道路なので、オートバイもよく走りに来ます。すると、親分は何を思ったか急にCR-Xを加速して、オートバイを追いかけてぶち抜いてしまったんですよ。『鷲羽山がちきゃぁけえな、よぉ~オートバイが走りに来るんよ。へぇじゃけど、ここらじゃ、あいつらに大きい顔はさせんのんじゃ』なんて言っています。『なんとも恐ろしい親分でんなあ、やっぱり、ヤクザじゃ』と思いましたね。そう言えば、年は多分40後半でしょうが、顔つきを含めて、まだ30歳代のような覇気と迫力がありました。やはり、暴力的な怖さというイメージは、男としての強烈な魅力の一つに違いありませんでしたね。後日、私のRX-7のチューニングが出来て、引き取りに行きました。その帰りは、「岡山ブルーライン」を爆音とともに吹っ飛ばして帰りましたが、まだ走り屋の初心者の私には、十分な早さに仕上がっていましたね。(気分転換に写真を入れてみました。これは、10年くらい前に、MR-2をチューニングして、スズカサーキットを走っていた頃の物です。前から4台目の白の車がそれです。)
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その後、早速フジスピードウェイに走りに行きました。当時(30年くらい前)、FISCOには、サーキットのロードコース(オーバルではない、という意味です)とすれば世界中の何処のサーキットにもない、長~い右コーナーが有ったんです。ヘアピンの立ちあがりから最終コーナーまで、延々と右コーナーが続き(多分1キロ以上じゃないかな?)、F-2やGCカー(これが当時日本一速いと言われていた星野一義選手の
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グラチャンカーですね)などの、当時の国内最速、トップカテゴリーのレーシングカーがレーシングスピードで走った時は、その間、ずーと強烈な左荷重が加わるため左のサスは縮みきって、一旦コントロールを失うと、『プロのレーサーでも運を天に任せるしかない』(当時のトップレーサーの長谷見昌弘さんの弁)という恐ろしいコーナーだったのです。そのため、そこでは何人ものレーサーが命を落としています。そこのコーナーのもう一つの特徴は、当時のFISCOを走った人は知っていると思いますが、大きな高低差です。ヘアピンを立ちあがって行くと、コースは一旦下り坂になって、最終コーナーの多分400メーター手前ぐらいが一番低くなり、そこから急な上り坂になるんです。そのため、私のようなヘタクソがノーマルのRX-7で走った時は、高い速度が出ていないため徐々にスピード落ちてくるんですよ。5速で息を止めて歯を食いしばって走っていても、『あっれ、スピードが落ちてきたぞ?』と気付いて、4速に落としてもまた落ちてきて、3足にまで落として加速していました。確かコースの一番低い所から最終コーナーまでの落差は,、私の記憶が確かなら、40メーターくらいあったと思うんですよ(私は多少、ほら吹きの癖がありますが)。それに、FISCOはコース幅が広すぎて、私ごときの腕では、アウトインアウトも何もあったもんじゃない。『あれっ?こっちかな?いや、こっちかな?』と、コーナーの途中でウェービングしているくらいなんですから、よりゃあ、スピードも落ちますよね。ヘアピンにしたって、スズカサーキットのそれと比べれば、FISCOのは格段に広くて、初めてFISCOに来た時は、『まさか、これがヘアピンじゃないよな?何番目のコーナーかな?』と勘違いしていたぐらいです。話が大分それましたが、ファニーレーシングでチューニングした私のRX-7は、そこを力強く駆け上がって行ったんですよ。

この記事へのコメント

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2018年12月30日 11:52

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